2015年8月30日日曜日

安全保障関連法案反対全国総がかり行動 スピーチ

みなさんこんにちは。
東京大学の石田英敬です。

1「学者の会」
 私は、「安全保障関連法案に反対する学者の会」の呼びかけ人の一人として、SEALDsをはじめとする多くの学生たちとともに、「安保関連法案」に反対する運動に参加してきました。
 「学者の会」は現在一万三千人以上のあらゆる分野の学者が賛同署名しています。一般署名を合わせると四万二千人以上の署名が集まっています。8月26日には全国108大学有志の会の共同行動、また日本弁護士連合会と共同して300人が一同に会しました。今日ここに皆さんと共に、「全国百万人アクション」に参加していること大変うれしく思います。
 学者たちがこぞって一斉に声をあげたことには理由があると思います。

2 アベ・シンゾーのクーデタ

 それは、この「安保法案」が、
1 ) 戦後70年私たち国民の最も大切な価値でありつづけてきた「戦争をしない国」という基本価値を破壊するものだからです。

2) 解釈改憲、憲法違反の法案が、
政治の基盤である、「憲法」に基づく政治、「立憲主義」の大原則をないがしろにするものだからです。

3) さらに、これは戦後70年の「歴史」を変えてしまおうという動きと連動したものです。

4) 安倍政権の動きは、この上なく危険なもので、憲法学者たちがこぞって反対の声を上げているのは、今起こっているのが、「クーデタ」と呼んでよい、「民主主義の危機」だからなのです。
アベの行っていることは、ひとことでいえば「独裁」なのです。

3「Take back Democracy」
本当にヒドイことが起こってきている。
だから、あらゆるところから、これはおかしい、危ない、危険な方向に行きつつある、という声が上がりました。
三割以下の得票率で国会で七割の議席を占めている自民党が、こんな勝手なことをしているわけですから。
元の「内閣法制局長官」も、元の「最高裁判事」も、「防衛庁の幹部だった人たち」も声をあげました。

社会のいたるところから声が上がりました。
「女性たち」が、平和な生活を送る権利、幸福を追求する権利が、あぶない、ということで声を上げました。

そして、なにより、「若者たち」が、「おかしい事はおかしい!」って言い始めたんです。
これは「王様は裸だ!」っていうのと同じです。法案の説明にしても、いろいろ「ごまかしている」じゃないか!
国会が機能せず、代議制民主主義が機能しなくなったとき、「国民は」、「デモクラシーは」、「ぼくたち、わたしたち」なんだ! て声を上げはじめたのです。

標語は、Take Back Democracy ! (民主主義を取り戻す! )です。

人びとの上げ始めた声は、
「アベ・シンゾーから日本を取り戻す」、「民主主義を日本に取り戻す」「戦争したがる総理はいらない」とますます大きくなりました。

4 私の研究から
私はメディアの研究者なのですけど、Take Back Democracy ! というコンセプトについて少しだけ話します。

Democracy 2.0とかいわれていますが、「ネット」と「直接民主主義」と「代議制」とを新しいかたちで組合せて、新しい時代のデモクラシーを創り出していこうという動きが今世界中で拡がっています。

私たちの国では、この間、ネトウヨと呼ばれるようなとても貧しい「ネット文化」が日本のファシズムの温床となってきました。
内にこもって、匿名で、あらゆる事をあざ笑って引きずり降ろせばいい、民主的価値をなし崩しにすることで、人びとを「虚無」に陥れる「ニヒリズム」です。

その「ニヒリズム」が進行して、「ヘイトスピーチ」とか、「反中」とか「嫌韓」とか、「陰謀論」や「レイシズム」が社会に拡がっていきました。

アベ・シンゾーの支持基盤はそこです。そこだけは、ほかの誰よりも、彼が独占できるオピニオン層だったんです。

でも、今回のSEALDsの若者たちの運動は、それに楔を打ち込んだ。
いろいろヒドイ中傷、卑劣な攻撃を受けてきました。
でも、スゴイ「勇気」と「尊厳」をもって、「おかしいことはおかしい!」て言わなきゃダメだと、声を上げたんです。

 当たり前のことですが、ネットは「リアルな世界の幸福の追求」のためにあるんです。匿名性に隠れて、裏でバイアスをかけようという「ニヒリズム」ではなくて、「新しいリアルな人と人との結び付き」を生み出すための発明なのです。
ネットに引きこもってファッシズムの温床にしてしまうのか、ネットを使いこなして、この世界に新しいデモクラシーをもたらすのか、が今の世界の重要な対立軸なのです。

 いま、ネットやポピュラーカルチャーをフツーに使いこなして、この国の若者たちの手で、民主主義がヴァージョンアップされようとしている。そして、新しく改めて「この憲法」が、自分たちの手で選びとられようとしている。「民主主義って何だ?」、「それは僕たち、私たちだ!」、「これが私たちの憲法だ!」そう、「新しいリズム」で語られ始めた。これは素晴らしいことです。

 私は、今日が、私たちの国の記念すべき日になると思います。
 この日は日本のデモクラシーが再発明された日として記憶されるでしょう。
去年、台湾では「ひまわり学生運動」、香港では「雨傘革命」がありました。いま日本では、「シールズ革命」が始まっています。

 「憲法守れ!」、これが「私たちの憲法だ!」と、「民主主義ってこれだ」って声を上げて、新しいリズムで、フツーの日常のコトバで「民主主義」が語られ始めているじゃないですか。フツーの気持ちでデモに出るようになったじゃないですか。
 ほら、この場で明らかなように、新しい政治のコトバとアクションが「発明」され始めたではないですか。
  この法案を「廃案に!」、「本気で止められる!」と思います。「強行採決絶対阻止!」です。
 しかし、万が一、採決されてしまっても、諦める必要なんかない !

 まだまだ、この運動は大きくなります。
 自民党は、三割で七割の議席を持っているだけなのですから、もっともっと、運動を盛り上げていって、アベ・シンゾーから民主主義を取り戻しましょう。

  Take back Democracy  SEALDs Revolutionです!

  学者も学生ともに戦います。学問の知性を賭けて、現政権の「野蛮」と戦います!私たちの持てるあらゆる知識を若者たちに開放します。

 「憲法守れ!」、これが「私たちの憲法だ!」と、「民主主義ってこれだ」って声を上げて、未来を、子供たちを、ともに守りましょう。
  世界中の、戦争で、独裁で、苦しめられ続けている、難民、子供、女性たち、マイノリティーの人びとと連帯して、世界中が「戦争をしない国」になるために、「憲法九条」を高く掲げてともに力を合わせましょう。

2015年8月30日  「安保法制に反対する学者の会」 石田英敬でした。
                 
             

2015年8月17日月曜日

石田 英敬 (編集), 吉見 俊哉 (編集), マイク・フェザーストーン (編集) 『デジタル・スタディーズ1 メディア哲学』東京大学出版会



序章 知のデジタル転回    石田英敬


 二〇世紀はメディア・スタディーズの勃興期だった.
 一九世紀に写真、電信、電話、フォノグラフの発明に始まったメディアとコミュニケーションのテクノロジー化が、人間文明を大幅に書き換え、大衆社会が出現し、世論が政治を動かし、集団心理を操るプロパガンダや広告マーケティングが発達する。文明の大変容にともなって、メディア研究の学際的なフロンティアが拡がり、人間、文化.社会を研究するために、人文学、社会理論、情報理論などの多様な研究が次々に花開いた。現在では、ナノ工学、計算機学から脳神経科学まで、法学、経済学から、文化研究、社会理論、芸術学まで、文科系理科系を問わず、あらゆる学問分野が、メディアの研究に関わっているともいえる。
 他方で、文字、本、活字の歴史 – それは書記メディアの歴史である -- を考えれば容易に分かるように、 メディアとは、人類の知識技術であり、〈知〉の伝播と保存の手段である。二〇世紀にメディア・スタディーズが浮上したのは、M・マクルーハンが「グーテンベルクの銀河系」と呼んだ活字を基礎とした近代の文明圏が、自明性を失ったからである。活字本と新聞によって知が編成される文明圏から、それ以後のメディアによっても知が生成し、認識が生み出され、文化が編成を受ける文明圏へと移行した。二〇世紀に興隆した、メディア・スタディーズはしたがって、〈知〉の成立条件についての認識論的、存在論的な問いを必然的に伴っている。
 本シリーズの編者たちは、二〇〇七年にメディア・スタディーズの世界的理論家たちを集めて東京大学大学院情報学環国際シンポジウム「ユビキタス・メディア――アジアからのパラダイム創成」を開催した。二一世紀の初めの時点で、「遍在化する(ユビキタス)メディア」についてどのような認識を持つことができるのか。デジタル・メディア時代の〈メディアの知〉のパラダイムを探ろうとしたのである。
 今回、「デジタル・スタディーズ1 メディアの哲学」として、デジタル化時代のメディア・スタディーズの出発点に位置づけられるそれらの主要な理論家たちの論考を揃えた。新しい〈メディアの知〉を切り拓くことができるのか、そのマニフェストがこの巻である。
 メディア・スタディーズは二〇世紀のアナログ革命を契機として生まれ、活字メディアを基礎としてきたそれまでの近代の知を根本的に問い直す役割を担った。二一世紀初頭の現在、コンピュータの発達によって進行した第二のメディア革命である〈デジタル革命〉は、比較にならない規模で、人間文明を根底から揺さぶっている。〈デジタル・スタディーズ〉とは、デジタル・メディアが遍在化した文明の研究である同時に、〈知のデジタル転回〉の認識パラダイムを提示しようとするものである。

2015年8月10日月曜日

東京大学出版会『デジタル・スタディーズ』全三巻 「シリーズ刊行にあたって」

「シリーズ刊行にあたって」

 インターネット、モバイル・メディアからウェアラブル端末、ICタグまで、SNS、ブログから、動画サイト、デジタル・アーカイブ、電子図書館まで。二一世紀の人類文明は、時間と空間、行為と場所、ヒトとモノ、感性と心理、思考と判断のあらゆる次元においてデジタル・テクノロジーに媒介されて成り立つようになった。
 ルネッサンス以降の近代において、〈知〉は活字をベースとした人文知(ヒューマニティーズ)として成立してきた。そして、一九世紀後半以降、人類文化は二つの大きなメディア革命を経験した。アナログ革命とデジタル革命である。二〇世紀のメディア研究はアナログ革命を契機として生まれ、マクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』に述べられたように、活字メディアに基礎づけられた近代以降の知を問い直す役割を担った。
そして、二〇世紀後半のコンピュータの発達によるデジタル革命は知をこれまでとは別の形で問い直す認識論的衝迫をもたらしている。今日では世界のあらゆる情報がデジタル化されるにともなって、人文知も再定義へと向かい、世界の大学・研究機関では、いわゆるデジタル・ヒューマニティーズの動きが盛んである。
そこで、そうした世界的な動向を踏まえ、本シリーズ「デジタル・スタディーズ」は、デジタルなメディア文化社会事象一般を研究対象とすると同時に、デジタル技術を認識の道具とすることで、知の成り立ちを根本的に問い直し、その枠組みの組み替えをめざす「デジタル転回」による、新しい知のパラダイムを見いだそうとするものである。
 
東京大学大学院情報学環では二〇〇七年に、メディア哲学のフリードリヒ・キットラー、映画批評の蓮實重彦、脳神経美学のバーバラ・マリア・スタフォード、技術哲学のベルナール・スティグレール、ニューメディア哲学のマーク・ハンセン、ポストヒューマン研究のN・キャサリン・ヘイルズ、メディア・アーティストの藤幡正樹らメディア・スタディーズの代表的な理論家たちを集めて大規模な国際シンポジウム「ユビキタス・メディア――アジアからのパラダイム創成(Ubiquitous Media Asian Transformation)」を開催した。この会議を契機に、東京やパリ、ロンドンなど欧米各地から集った研究者から、その後、デジタル・ヒューマニティーズの理論と実践を革新する動きが起こってきた。これらの動きは、ニューメディアの哲学、ポストヒューマン研究、ソフトウェア・スタディーズ、デジタル・カルチャー研究といった多様な呼称のもとに先進的な研究動向として国際的に繰り広げられている。さらに、スティグレール、石田英敬らは国際的に研究連携することで、新たな知のネットワークを形成するにいたっている。
 本シリーズでは、デジタルなメディア文化社会事象一般を研究対象にしつつ、過去八年におよぶこのような国際的な研究協働の成果の体系化を試みる。そして、これらの研究をここでは、〈デジタル・スタディーズ〉と呼び、メディア研究から出発したデジタル・ヒューマニティーズの理論と方法を提示することをめざす。
メディア批判の哲学的基礎とは何か、情報コミュニケーションテクノロジーと人文科学との界面とは何か、社会と文化の知のデジタルな書き換えはどのように行いうるのか、アジアという文明からの問いはメディアに関してどのように立てられるのか、私たちの世界の遍在化するメディア環境はどのような文化的社会的実践を可能にするのか。
 二〇世紀のメディア哲学、メディア批判、表象美学、映像論、記号論、メディア社会学、文化研究、都市建築研究など複数領域の系譜を〈知のデジタル転回〉の文脈で受けとめ、その先端的な知を結集し、デジタル・テクノロジーの遍在する時代における、混成的だが根源的なメディア・スタディーズの新たな方向性を提示し、新しい知のパラダイムを展望する。


二〇一五年六月
シリーズ編者 石田英敬/吉見俊哉/マイク・フェザーストーン

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