2016年1月5日火曜日

石田英敬 オリジナルブログ記事 連載(1)


〈21世紀ファシズム〉の集団心理学


Ur-Fascism speaks Newspeak.
Umberto Eco  

 昨年秋にブログを公開して以来、ときどきはオリジナルのブログ稿を載せると宣言していながら、前回掲載から数ヶ月を経てしまった。一年の計は元旦云々というが、今年はもう少し頑張れればいいと思う。
 「〈21世紀ファシズム〉の集団心理学」という暫定的に擬古風な総題で、何回か分載してみることにしよう。
 〈21世紀ファシズム〉は山括弧(〈 〉)付きで、新しい世紀はどうやら新たな形態の〈ファシズム〉に向かいつつあるのではないのか、という、いま物を考える世界の人びとが、共通に危惧している問題の提起である。
 集団心理学には、引用符(” “)をつける。この捻(ひね)くれた引用符は、二一世紀のネット時代に「集団心理学」のようなものはどのようなかたちをとるのだろうかという認識論の疑問を含意している。フロイトの「集団心理学と自我分析」(1921)を意識している。しかし、そもそもフロイトの用語ではない。かれが集中的に参照しているGustave Le Bon (ヒトラーもゲッペルスもムッソリーニもルーズベルトもバーネイズも「熟読」した)や、あるいはGabriel de Tardeの提起した問題系が参照されている。
 私は決してフロイディアンはない。しかし、それでも、今日あらためて、一世紀前にフロイトに「集団心理学と自我分析」(1921) を書かせた動機を捉え返しつつ、一世紀後の今の時代に起こりつつあることを理解すると、今の世界を理解するため重要な手掛かりが見つかると思っている。
 いずれまとまった論考として刊行するかも知れないが、一種の準備稿のようなものだと、ご理解いただければと思う。随時改稿していくので決定稿ではない。
 
さて 第1回の今回は、

 「フランスの〈11・13〉以降」の世界


 フランス、パリの2015年11月13日のパリ同時多発テロ事件は、あらためて世界が迷い込んだ暗闇の深さに人びとを震撼させた。
 私も大きな衝撃を受けたが、それはフランスのパリを仕事柄、比較的よく知っているからとか、じっさいに親しい友人・知人や親族がそこで暮らしているからだけではない。リアルタムで事件のネット中継を見ている東京の私たちの現実とそこが地続きで経験されていることを実感しているからである。たんにコミュニケーションとして接続しているからというのではなくて、そこで噴出している問題そのものが、いまここ日本で起きている問題と地続きなのである。
 本稿はその「問題の地続き」について書くものだが、その前に、幾つかの傾聴すべき声を紹介しておく。

I  いま〈知性〉の声を聞く

 ド・ヴィルパン元首相

 フランスの元首相ドミニック・ド・ヴィルパンは、外務大臣時代に2002年の国連安全保障理事会でイラク戦争に真っ向から反対する演説を行って有名になった。彼は、昨年のシャルリ・エブド事件以前から、「テロとの戦争」を口にし始めたオピニオンに対して警告を発している。「テロとの戦争」という西側の爆撃は現地の過激派を増やすだけで、住民の被害を拡大し難民を増加させ出口のない憎悪の連鎖を招くだけであること。中東では、ドゴール時代から築かれてきた外交の遺産を活かしてアメリカとは一線を画した外交政治を展開して地政学的な安定勢力たれというのが、まさにシラクを継ぐドゴール主義者としての明確で説得的な主張である。とくに、20149月に放送されたテレビ番組(France 2 “Ce soir ou jamais” )での発言は〈1113〉後のフランスでは何度も視聴し直されている(http://www.dailymotion.com/video/x26sp1d_dominique-de-villepin-a-propos-de-daech-l-etat-islamique-et-la-guerre-dite-contre-le-terrorisme-6-mi_news)。
 フランスは「戦争状態」にあるとして、左も右も「テロとの戦争」へとひた走ろうとする現在のフランス政治界にあって、まさにこうしたドゴール主義の伝統を活かそうという明晰な知性の声がかき消されている現状をどう考えるべきだろうか。
 これを私たちの国が向かいつつある方向と比較して理解すると何が見えてくるだろうか。「戦争をしない国」という戦後の平和主義が蓄積してきた信頼資本をわけもなくなげうって、テロとの戦いなどに参加しようなどと愚かな政治家が登場している我が国の情況を重ねて見るとどうだろうか。

 2 経済学者トマ・ピケティ

 昨年、『二一世紀の資本』が世界的なベストセラーとなった経済学者のトマ・ピケティは、すでに朝日新聞にも抄録された記事(Le Monde紙 20151121日)で、治安と武力による対応では問題は解決できないことを説いて、背景にある地政学および経済社会の問題を指摘している(「朝日新聞」、2015121日付朝刊、ピケティ@コラム)
 テロの背景には中東地域の巨大な経済格差があり、西欧諸国にはそれを生み出した大きな責任がある。「イスラム国」を生み出したのも、もとはといえば、イラクをつくりだした1916年のサイクス・ピコ協定があり、それもまた西欧の責任だとピケティは言う。
 さらに、1991年の湾岸戦争以来の非対称な戦争があり、それはつまり、石油資源を中東の首長たち、つまりは西側資本に取り戻す戦いでしかなかった。中東地域の3億人の人口に対する富の分配を見れば、この地域の石油資源を有する人工1割に満たない君主国が地域GDP6割から7割を占めているという。それらの君主国の内部でも、一部の人びとが富を独占して、移民や女性など大多数は奴隷状態。そこでもまた西側の資本家たちが武器を売りつけたり、サッカークラブの運営資金を仰いだりと、結託しているわけだ。
 選挙で民主的に選ばれた政府を西欧の黙認下で軍事クーデタで倒したエジプト民主革命の顛末を見れば明らかなように、西側の民主主義の欺瞞性は中東地域では人びとの目に明らかだ。
 他方でヨーロッパとくにフランスにおけるアラブ系の失業や就職差別をみればテロリストをそのなかから生み出すことになっても不思議はない。リーマンショック以前の欧州経済では年間100万の移民を受け容れかつ失業は減っていた。各国政府の緊縮策が、国家のエゴイズムを高め社会的包摂を疎外して、アイデンティティの緊張を高めた原因である。
 このようにピケティは分析している。ここにもまた、私たちの国の状況との共通要素を幾つもみとめることができるではないか。中東で西欧と足並みをそろえることの歴史的意味、石油資源問題の含意を私たちはよく考えているか。社会的寛容の劣化、ネオリベラリズムの支配とナショナリズムの上昇もまた私たちの国に共通した状況ではないか。

 3  精神分析家 フェティ・ベンスラマ

 精神分析家のフェティ・ベンスラマはチュニジア出身で、イスラムおよび一神教の問題について精神分析からのアプローチに永年取り組んできた。1113日の事件が起こる直前の12日に応じたインタビューが(Le Monde 20151113日)、「ジハディスト」と呼ばれる聖戦のにわか戦士に突如変貌して、自爆テロに及ぶ、フランスの若者世代の「過激化」の心理を説明したものとして注目された(岩波『世界』1月号にその後訳出された)。「過激化」したと見なされた若者の大部分が一五才から二五才の若者たちで、アイデンティティ・クライシスのただ中にある年頃の若者たちだ。精神分析によるアプローチの特徴は、これを個と集団とを結びつけ人間の自己形成にいたる「理想」にかかわるトラブルと考えるところにある。
 ジハードへの誘いは、アイデンティティの深刻な欠如に悩む若者たちを捉えて、興奮剤ともなりうる。イスラムについてとくに詳しい知識はなくても、ネットで簡単に手に入れられる薬剤のようなものである。宗教にとくに興味を持っていなかった若者が、突如として、「超ムスリム」になったりするのである。
 他方で、その理想の危機の根源には、歴史的なトラウマとの関係もあって、1924年の「イスラム帝国」の滅亡のトラウマとの関係もベンスラマは指摘している(第一次世界大戦後のトルコ・オスマン帝国の解体とアラブの反乱とその結末)。そこに突如として、近代的価値を飛び越えて「超ムスリム」化する過激化の原理が潜んでいると述べている。
 大江健三郎の「政治少年死す」のような過激化の論理が働いているとも受けとめられるが、形は異なるとはいえ、過激化の心理的機制はむしろ普遍的なものともいえるのではないか。
 我が国においても「右傾化」する若者たちの動機に、アイデンティティ・クライシスと、それゆえの代償行為としても「日本」への回帰があるとすれば、その部分については、既視感のある分析が述べられているといえるだろう。

 4  哲学者 ベルナール・スティグレール

 哲学者のベルナール・スティグレールは、フランスの「われわれ」が「戦争状態」にあるという認識自体を忌避している(ド・ヴィルパンも「戦争」と考えることを拒絶している。それこそISが望むところだ、と。)。戦争があるとして、それは「経済戦争」であり、「私」のではなく「彼ら」の戦争である、と( Le Monde 1119)。言わんとするのは、ネオリベラリズムの世界化が引き起こしている「彼ら」の戦争であって、その被害者が「私」および「私たち」なのだという。
 世界的な経済戦争人びとを巻き込み、世界全体が内戦化しつつある。
 これは、経済の戦争であって、雇用が崩壊しとくに若い世代にとって大失業時代が待ち受けている(最近日本でもようやく議論が始まったが、ロボットや人工知能の発達によって、今後20年のあいだに先進産業国では雇用の50パーセントが失われ、中産階級が消滅すると予測されている)。絶望が暴力を生む。希望がない世界こそが、自爆攻撃という名の「自殺」の意味であり、若者たちは未来に希望がないことをよく見抜いている。オランドもサルコジも若者たちに未来への本質的展望を与えようとしない。その愚かさこそ、真の原因であり、それに向き合わぬからスケープゴートを探すことになる。
 ジハディストの『わが闘争』の書と言われる、アブ・バクル・アル=ナジ(Abu Bakr Al-Naji サダム・フセイン時代の工作員でイスラム原理主義者となった複数の著者によるものとの説もある)の『野蛮のマネジメント(The management of savagery)』という書を読むと、地域市場で企業が代理店をどのように開けばいいのかを教えるマニュアルと同じ書かれ方をしているのが分かる。暴力のフランチャイズ化。蛮行でまず地域をカオスに陥れ、主導権を握り、権力を丸取りせよという指南の書なのだ。
 このアグレッシブなやり方は、情報化時代のそれだ。デジタル革命はあらゆる産業の前提をひっくり返して、技術革新による社会システムの「破砕」が、猛スピードで暴力的に進んでいる。『野蛮人襲来 Les arbares attaquent』というサイトがあるが、そうしたやり方の指南マニュアルを掲載している。『黙示録の四騎士』と呼ばれるGoogle, Apple, Facebook, Amazonの支配が急速に拡がり、技術革新が猛スピードで進んでいて社会システムが追いつかない。この「大断絶」のなかで、人びとが何が起こっているのか分からない大混乱のうちに、市場を丸取りしていくIT化が進行しているのだ。UBER(自動車配車ウェブサイト及び配車アプリ)のようなサービスの進行がその例である。
 テロの問題は宗教問題ではなく、フランスの地方議会の銃撃大量殺人やアメリカやカナダやヨーロッパ各地で起きている大量殺人のことを考えればわかるように、「絶望」問題なのだ。
 デジタル革命という未曾有の技術革新の大変化による社会基盤の崩壊、大失業時代の到来、希望の喪失、そこにこそ現在の世界の混迷の文明的原因があるという見方は、私たちの国にも十分に実感される。私たちの社会も経験してきた、希望のない若者による無動機殺人、大量殺人、あるいは、暴力的に進む市場原理の支配。市場原理の貫徹と加速と鏡的に反映しながら、暴力のスパイラルも競り上がってきているのである。

II  〈世界危機〉の構造

  1 同じひとつの〈危機〉

 以上、昨年11月の事件直後に聴き取られた何人かの発言を不十分ながら要約してみた。
 それ以後、フランス政府は、ロシアとさえ手を結んでシリアのISへの空爆を強化してきた。オランド大統領は、西側諸国の同盟をアピールするとともに、「非常事態」を継続すると同時に、非常事態条項の強化のための「憲法改正」をアジェンダ化して、そのなかには「国籍剥奪」条項の拡大による二重国籍者の排除等が盛り込まれ論争を呼んでいる。
 その間にも、シリア難民問題がヨーロッパではナショナリズムの台頭に拍車をかけ、フランスの12月の州議会選挙では極右政党FN(国民戦線)が第1回投票の得票数において事実上の第一政党となった。
 あるいはさらに中東地域では、ロシアとトルコとの紛争、より最近は、イランとサウジアラビアの対立の拡大というように、中東の火薬庫はさらに危険な様相を呈してきている。
 この稿の目的は、しかし、11月のフランスのテロを説明することを主たる目的としているわけではない。むしろ、その「フランスの危機」を題材としたときに見えてくる、ここ日本を含む、私たちの世界の共通した危機状況を考える手掛かりを見いだそうという目的でこれを私は書いているつもりだ。
 すでに上の要約中でも随所で言及したように、彼の地で起こっていることは、ここ日本でいま起こっていることと、文字通りに地続きの関係にあることが見えてくる。

 2  世界化する〈愚かさの政治〉

 2002年の国連安保理でドゴール主義者の面目躍如とする戦争反対演説で世界に知られた元首相は、私などから見れば、フランスの現在の政治家のなかでも群を抜いて明晰で知性に富み、最もフランス大統領にふさわしい人物と思われる。しかしながら、彼の地でも、政治家に知性と教養が求められる旧き良きフランスの時代は終わり、ポピュリスト政治家が実権を握るようになった。ド・ヴィルパンを追い落としたのは、実に品のないポピュリストでネオリベ政治家のサルコジだったし、そのサルコジに代わって大統領に就いた社会党のオランド大統領もまた思慮と教養に欠けるなんともカリスマ性に欠ける凡庸な政治家でしかない。政治家の質の劣化が甚だしいのである。
 凡庸な政治は、一元化した世界を前に、思考停止している。ド・ヴィルパンが言うように、現在の世界の混迷は、第一次湾岸戦争にまで遡る。ブッシュ父子の「アメリカの平和」に随伴することが、フランスの外交ではなく、アメリカとは異なるドゴール外交による中東地域での外交的信頼という遺産を活かせ。政治的・外交的努力にフランスは注力せよ。武力での攻撃は、暴力の連鎖を引き起こすばかりで解決にならない。そう繰り返す、ド・ヴィルパンの発言は、それをそのまま、私たちの国の議論に書き換えることができる。
 「湾岸戦争のトラウマ」に突き動かされて、歴史的にも地政的にもまったく異なる文脈に属する日本が、アメリカの「テロとの戦争」に随伴することは、平和への貢献ではない。帝国主義期の歴史的過去の負の遺産をこの地域でもたず、戦後は平和主義によって外交的信頼を蓄積してきた国が、その信頼というキャピタルを無闇に投げ出して、アメリカの戦争と歩を合わせるようなことは、平和への貢献ではない。
 そのような基本的判断力を政治家たちが失って、気骨のある戦後政治の政治家たちが退場し、ポピュリスト政治家たちが跋扈して、思慮を欠いた「価値観外交」などを主張するようになった。
 直近の中東情勢と見るにつけ、中東の火薬庫化に歯止めはかからず、ふたたび「テロとの戦争」の名のもとに、ISへの空爆からさらに多国籍軍の派兵のようなことへと発展しかねないだろう。
 NATOはすでに「集団的自衛権」を発動してISに空爆を加えているが、私たちの国の昨年夏の「安保法制」問題は、じつにタイミングよく(!)、現下の世界情勢に応えようとするものだったというわけである。
 それはまた、私たちの国もまた、思慮を欠いたポピュリスト政治家たちの一元的思考にミスリードされて、平和国家としての歴史的信頼を投げ出して、出口のない世界の暴力の連鎖へと呑み込まれていくことを意味している。
 そしてまた、愚かなポピュリスト政治家たちほど、「非常事態」を好む傾向があって(ブッシュJr. を想い出そう)、オランドはフランス共和国憲法を改正して、「非常事態」状況を強化して、さらに、二重国籍者からは「国籍剥奪」を可能にする改正を導入しようとしている。
 ときあたかも、どのかの国の愚かな首相と与党もまた、「憲法改正」の糸口に、「緊急事態条項」を導入しようなどと考えるにいたっている。
 「特定秘密保護法」、「安保法制」、「緊急事態条項」.. と、その間にも知性を欠いたポピュリズム政治によって、立憲主義・民主主義・平和主義という戦後日本政治の根幹がなし崩しにされていこうとしているのである。

 3 世界規模の〈格差〉が生むテロ

 いかなる理由にせよ、無実の人びとが平穏に暮らしているのを銃撃して無差別に殺戮することが、どの世界であろうと許されるわけはない。
 残念ながら、そのような無差別の殺戮は他の場所でも頻繁に起こっており(例えば2014年夏のパレスチナ・ガザ地区)、それが世界的なニュースになるか否かにも、「平和」な先進国と、世界の紛争地域との非対称性は顕著である。しかしながら、ひとつの虐殺が別の虐殺の犯罪性を打ち消すことはない。
 あくまで、問題としたいのは、原因と理由についてである。すべての出来事には、それが起こる理由がある。その理由を理解しようとすることが、倫理的に断罪したり、あるいは逆に弁護したりすることに先行するべきである。
 そして、イスラム原理主義とそのテロには、やはり、はっきりとした、歴史的、構造的な理由がある。
 ピケティもベンスラマも言うように、中東地域が火薬庫であることには、はっきりとした歴史的理由がある。専門家をのぞけば、それを、日本の私たちは、あまりに知らなすぎる。第一次世界大戦とアラブの反乱、オスマン帝国の解体と帝国主義的分割による国境線の画定、英仏による保護国化、イスラム帝国の滅亡・・・。パレスチナ問題の起源でもある、このつい最近の世界の歴史の理解は欠かせない。
 そしてさらに、ピケティの言うように、その中東地域において石油資源が一部の王族の手に握られて、地域の富の分配は極端に不平等であり、それに欧米先進国の多国籍企業が群がり、民主主義という価値もエジプト革命のようにダブルスタンダードであるという構図があれば、この世界の「正義」とは何かが、ド・ヴィルパンの言うように、地中海の此岸と彼岸では、正反対の感覚を持つということが起こっても、とくに不思議はない。
 歴史的な不正義と世界的な格差がテロを生み出す元の構図にはあり、さらに、そのために紛争や迫害や貧困を逃れてヨーロッパへと逃れた移民の第二第三世代を差別や経済的および文化的な格差が待ち受けているとすれば、このいかにも何重にも「重層決定された矛盾」が、現在の暴力の連鎖を生み出していることは理解するに難しくないのである。

 4 〈希望のない世界〉の若者たち

 昨年一月の『シャルリー・エブド』紙襲撃事件のときにも、すでに、私は以下のように書いていた -
 「事件が明るみに出したのは、一方における、訓練を受けたテロリストとしての手口の周到さ冷酷さ。他方における、それとは対照的な、犯人たちの驚くべき軽さである。
 まるでコンピュータ・ゲームを演ずるかのごとく、訓練を受けマニュアル通りに戦闘を繰り広げ、冷酷に警官や人質を撃ち殺すかと思えば、あまりに屈託のない声でインタビューに応じ、犯行ビデオを残して、最後はシナリオ通りに特殊部隊の銃弾の雨に向けて駆け込むように身を投げて「殉教」を果たす。このリアリティを欠いた行動の軽さに戦慄を覚えるのである。
 犯人たちは、フランスに生まれたアルジェリア系移民の子、マリ移民の子、それぞれ子どもの時分に親を失い孤児として育ったじつに哀しい境遇の若者たちである。被害者の側にもまた、マルチニク出身の見習い中の黒人女子警察官、倒れたところを冷酷に撃ち殺されたのは幼い頃に父を失ったイスラム教徒の警察官。被害者たちの無念が、事件の不条理さに折り重なっている。
 根底にあるのは、この世界の若者たちにとっての生きづらさである。民主主義が建前の先進国で育っても、教育格差、人種差別は顕著でまともな職はなく、社会的公正は見つからない。「第四世界」といわれるブラックホールに陥ってしまう。世界から見放されたと感じる者たちが辿り着くのは、死の彼方の聖性への跳躍の誘惑である。そこに「ホームグロウン(本国生まれの)・テロリズム」のつけ入る余地がある。
 私たちの社会はこの若者たちの生きづらさに、どのように手をさしのべればよいか。それは私たちの国にとっても決して無縁な問題ではないはずだ。」(『北海道新聞』コラム「各自核論」20151月 付 朝刊)。
 今回のテロリストたちの経歴もまた、おそらく、昨年1月の事件の実行犯たちと大差ないであろう。大人しい若者の突然の「過激化」が問題とされているが、ベンスラマのいうように、そこには、思春期から成年期への過渡期特有のアイデンティティの危機がある。それは、私たちの国の若者と変わりはない。経済成長の時代から遠く離れた、今の世界では、とくに若者たちに希望がなく、失業にしても、非正規化にしても、最初に犠牲になるのは若者たちである。日本の若者たちも久しく「右傾化」が言われてきたが、残された拠り所は、根拠なき「ナショナリズム」でしかない、ことにこの世界の悲惨がある。
 ベンスラマのいう「超ムスリム」化と同じように、ナショナリズムだけが糧となって「超国家主義」化する若者たちが増えてもまた不思議ではない。その全体的な若者たちの世界の隘路を捉え返そうという、新しい萌芽が、昨年夏の「SEALDs革命」のような動きなのだと私自身は考えているし、中東の「ジャスミン革命」にも確かにそういう目はあったのだが、権力と軍によって圧殺されてしまった。 

 5 〈ネオリベラリズム〉による破砕

 若者たちの「生きづらさ」(若者に限らないが、これから続く未来に希望がないのは絶望的である)の根底には、異常なスピードですすむ技術革新による社会システムの「破砕」があるとスティグレールは言う。シュンペーターが「創造的破壊」を語ったのは、二十世紀前半だったが、現在のデジタル革命は、比べものにならないスピードで「破砕」を進めている。
  現在でもサービス産業の奴隷化は甚だしい。「ブラック企業」問題等が示す通りである。情報化社会では、人間の単純労働はますます、機械と機械、情報端末と情報端末をつなぐ仕事へと還元されていき、人間の代わりにドローンが飛び交ったり、ロボットが運転したり、ロボットが肉体労働や介護労働を行うようになる。
 ようやく日本でも議論が始まったが、二十年後には半分の雇用がロボットや人工知能に取って代わられて、中間階級が消滅すると予想されている。
 フランチャイズのチェーン店が地域を支配かにおいて言ったように、IT企業の進行はすすんで、UBERのような配車システムが、それ以前にあったタクシーのようなサービス産業を破壊していく。
 現在のIT時代は、こうした世界規模での経済的な「内戦」が繰り広げられている世界なのである。このまま進行すれば、既存の産業社会の大規模な「破砕」が進んでいくことになるだろう。ネオリベラリズムがその「破砕」のドグマであり、それを裏返すかのように、この世界の暴力の連鎖のフランチャイズ化が進んでいるというスティグレールの指摘は鋭い。
 技術革新がもたらす「破壊」に対して、それに応えうるシステムを社会が合意的に形成するよりも前に、「市場」を占有しようとする「スピード」の戦略が進められ、それが「イノヴェーション」と呼ばれている。
社会が技術を自らのものとして組織していくことは「技術の人間化」だが、その「人間化」が起こるよりも前に、技術革新による「破砕」によって市場を占め、丸取りしようという、暴力的な戦争が進んでいるというわけである。
 市場化のための「ショック療法」を唱えたのはネオリベラリズムの祖ミルトン・フリードマンだが(ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』はそこを手掛かりとしている)、イラク戦争開始時の米軍作戦のコードネーム「衝撃と恐怖」に見られるごとく、衝撃とスピードに訴えて機先を制するというやり方が、あらゆる領域で進行していく。
 それが人間性の「破砕」にまで及べば、ISのような人間性の破壊によって、権力を取るむき出しの暴力による、世界の内戦化へと進むというわけである。
 これから進められていく、TPPの効果がいかに破壊的かを考えて見よ。安倍政権が「経済特区」で進めている日本版UBERサービスの実験、ドローン運用実験のような、イノヴェーションの実態を見よ。このロジックは、私たちの国でもすでに、あらゆる領域で進みつつある。経済社会、技術社会はすでに全面的に「内戦化」していっているのである。
 大量殺戮という「自殺」や「破壊」、「テロ」は、宗教や文明の戦争の問題とは言えないわけである。

 *
 
 以上のように見てくれば、フランスの〈1113〉は、決して、遠い国で起こった我が国の政治経済社会状況とは無関係の出来事では決してなく、同じひとつの〈世界の危機〉の多くは共通した現れが、テロという事件として噴出した出来事であることが分かる。
 そして、また、政治的・社会的・人間的争点も共通していて、であればこそ、私たちもまた、昨年来、「特定秘密保護法」から「安保法制」へと結晶化した、立憲主義と民主主義、平和主義の危機を経験して、それに対する知性の戦いを組織しているところである。
 この世界が、軍事的にも経済社会的にも文明的にも内戦状態へと沈む前に、私たちは明晰な問題地図を手がかりに、英知を集めてより良き次の世界のために共に戦うのでなければならないわけだ。