2015年7月31日金曜日



NHK放送文化研究所『放送研究と調査』レビュー 
20157月号
「制作者研究 過ぎ去らない巨匠たちの仕事場>
 【第6回】田原総一郎(ジャーナリスト)
 〜死ぬまで生テレビ〜
 (メディア研究部/七沢 潔)」

レビューアー 石田英敬 (東京大学)


 七沢潔氏の論考「制作者研究 過ぎ去らない巨匠たちの仕事場>【第6回】田原総一郎(ジャーナリスト) 〜 死ぬまで生テレビ〜 」は、テレビ界の“怪人”「田原総一朗」の軌跡を、おもに1960年代から1970年代初めにかけて田原が手がけたドキュメンタリー番組を“捜査”することを通して解明しようとした労作である。
 レビューアーに期待されているのはおそらく、筆者である七沢“刑事”の“捜査記録”を読んで、“いかなる罪状で立件可能か”を考える予審判事、あるいは“検事”の役割であろうと勝手に仮定して、以下では、七沢捜査が捉えた〈田原総一朗〉の”真実“ を、テレビ研究のどのような「純粋理性の法廷」に召還することができるのか、いささかの 法理上の見通しを述べてみることにする。
 テレビ界の人間によって行われるテレビ界の人間の“捜査”は、実践的であり、そこに醍醐味があり面白い。足を使って、証拠を集め、犯人を追いかけて、聴取し、ときに“自白”させる、そんな警察のやり方と似て、現場主義の泥臭さとスリルが入り交じっている。アカデミックな“検察”の立場はそれとはちがって、たとえ刑法も近年は口語化されたとはいえ、使う用語も異なっている。どちらが優位にあるというわけではない。“検察”は偏見に満ちている。“立件”することが仕事だからだ。
 偏向した“検察官”の立場からいえば[1]、この老人の功績罪状は重大である。七沢の捜査が明かしたのは、もうほとんどの人びとの記憶からは消えかけている、“過去の犯罪”の記録であり、それをいまにわかに“立件”することは難しい。しかし、その過去の事件簿が、現在の彼のジャーナリズムとテレビにおける“功罪”を決定していることが、七沢により証されようとしている。
 

I  刑事が刑事を追う「オイディプス的」研究

 七沢刑事自身ドキュメンタリー制作者であるだけに、テレビ的語りとも言うべき叙法を採用して、「はじめに」と「おわりに」に田原との面会と取材の場面を配し、1.「『異彩』の構造」、2.「『主観』の挑戦」、3.「『修羅場』の人間像を求めて」、4.「『敗北』を抱きしめる」というジャーナリスティックな見出しを持つ四部構成で、読み物としても、“楽しく視聴”できる論文のつくりとなっている[2]
 「田原総一朗とは何者なのか」(p.2 右段)が、主導モチーフだが、「塀の上を走り」続けるこの〈テレビ怪人〉を捉えるために、七沢がとる捜査方法は、第一に、〈張り込み〉、第二に〈聴き取り〉、第三に〈資料下調べ〉、そして、第四にお蔵入りしていた〈過去の事件簿〉の調べである[3]。 

1)〈張り込み〉捜査
 最初に、印象的な〈張り込み〉の場面から、〈番組〉は始まる。
 二年前に“犯人”は目の前に現れた。しかし、七沢は、“彼”であると気付かなかった。なぜなら、彼は、「静かな老人」の“仮面”を被って、ホテルのロビーの片隅のソファーに、ひっそりと座っていたからだ(p.2 左段)。(この最初の邂逅で「原子力」事件簿をめぐる、先輩刑事と後輩との関係は、興味深いが、ここでの主導線ではないから省く)。
 二度目の張り込みでも、七沢は、田原の〈犯行〉の現場を押さえられなかった。今度は、すでに彼は“変身”した姿で目の前に現れたからだ(「老人はすでに田原総一朗の顔になっていた」p.5 左段)。
 「うーん、オモシロオシイな」と、この冒頭シーンに視聴者は思うだろう。二度目は、犯行の現場を押さえるべく現場に向かったのだが、〈犯行は行われた後〉だった。犯行現場とは、〈生〉で犯行が行われている場所である。〈テレビ局〉のスタジオである。オシイのは、遍く、オモシロイ刑事番組のはじまりは、まず、オシイしくじりの場面から始まらねばならないからである(それを文芸理論では、「ジャンル的規則」という)。そういう意味で、鉄則通りに番組は始まっている。この現場に、七沢は、番組の最後に、「おわりに」のパートで戻って来るだろう。
 冒頭パートは、「『異彩』の構造」と名打たれている。言いたいのは、表層的には、田原がテレビ界で「異彩を放ってきた」ということだろうが、七沢は説明していない。田原老人のキーワードは、「表のディレクター」と「本音」である(「『本音』を出させることへの執拗なこだわりこそ、ディレクター田原総一朗の真髄である。」、p.6 左段)。

2)〈聴き取り〉調査
  つづいて、七沢は、田原による二つの〈供述〉を引用して、捜査目的をまとめている。

 40年以上前のドキュメンタリー番組を制作していた時代からいまに至るまで田原の 番組の本質は「本音」という言葉に集約できそうだ。表層的に扱われがちな人間や社会の奥に隠された「本音」を語らせる, 読み取ることは, 6 0年の齢を刻んだ「テレ表現」のみならず, ジャーナリズムの基本命題であり続けた。
 ここで田原の言う「本音」とは何か。そしてそれを引き出すのに必要な「土俵」づくり とは何か、それは時代の中でどのような審判を受けてきたのか。田原総一朗のドキュメンタリー制作史を中心に探し、考察してみる。 (p.6右段)

 下線を付した、引用第二文が中心的、かつ、曖昧である。
 ここで、七沢の推論は、まず、「人間や社会の奥に隠された〈本音〉を語らせる/読み取る」のは、「テレビ表現」、「ジャーナリズム」一般にとっての、根本的な活動である、という「基本命題」を提起している。そして、次に、田原の言う「本音」とは何か、という問いが動機づけられる。「土俵づくり」は田原のいう「本音」をもたらす技術である。
 七沢は、したがって、二つの意味で“本音”という用語を使っている。第一に、ジャーナリズムおよびテレビ表現一般にとっての「基本命題」としての〈本音〉という論点であり、第二に、田原のいわゆる、固有の、「本音」とは何か、である。
 ここでよりメタな立場からいえば、“検察”的に言えば、田原を〈起訴〉するためには、彼の「本音」という言葉遣いをそのまま受け容れて論を進めていいのか? 相対化する、別の用語を導入すべきではないのか?そんな自問の余地が浮かび上がる。
 まず、〈本音〉とは何かを、考えてみよう。本音は、一般的には、秘匿されていたが、〈言われる〉ものである。沈黙されていたが〈言われる〉、つまり、〈自白〉される、ものである。したがって、それはまた、何らかの〈真実〉を語っていると想定される。
 最も一般的にいえば、〈本音〉の問題系は、〈真理〉の問題系の一部である。田原のいうテレビが「本音を言わせる」経験とは、テレビにおける〈真理〉を言う経験の一部であるだろう。〈建前/本音〉の区別にもとづいて、〈本音が言われる〉瞬間の経験を、テレビが〈生〉で実現(パフォーム)するのが、田原的な意味での「本音」の「生テレビ」的暴露の成就ということになるのだろう。そのためには、「本音」を言わせるべく、追い込むための「土俵」-- 対論の〈アリーナ〉-- をしつらえる-- 〈アジェンダ・セッティング〉-- ことが必要で、それを可能にしたのが、田原の司会者としての強引な〈議論マネージメント〉の技術ということになるのだろう。「表のディレクター」とは、視聴者の見ている目の前で、そのような〈真理暴露(アレーテイア)〉の〈番組をつくる(パフォーム)〉という意味だろう。テレビ自体が自己の演出を前景化して露出するという、「ネオ・テレビ」(U.エーコ[4])的傾向のベクトルに関わることだろう。

II「前歴調査」の射程
 七沢の聴取は、田原のそれほどに「強引」ではなく、はるかにその手前で済ませている。彼が“立件”しようとしているのは、〈現在の田原〉ではない。そこに、この“犯罪調査”を分かりにくくしている、過去現在の段差がある。
 七沢は -- 少なくともこの論文では -- 〈現在の田原〉を立件しようとしているわけではない(このレポートを書いている -- 検察の -- 私は、どちらかというと、現在の田原を“上げたい”と思っている。そのためにその関心からこの七沢レポートを読んでいる)。
 田原の「土俵」は、ある時期、この国の〈TV的公共空間〉にあるタイプの政治的な〈論争アリーナ〉をつくることに成功した。そのことによって、良くも悪しくも、この国の政治空間は歪んだ。そのことこそが、TVの現在にとって、田原の功罪だ、と私は考えている。毀誉褒貶激しいことがまさしく示している事態だ。それを“立件”できないか、が検察の関心事である。そのためには“国策調査”が必要だ。そのための、“前の調べ”をやってくれたのが、今回の七沢刑事の仕事だ、と勝手に位置づけて、興味を持って読んでいる。
 遠慮がちに現在の田原には接し、(表面上)おとなしく田原老人のご意見聴取し、『朝生』の収録を参与観察してきた、七沢刑事だが、彼が調べているのは、田原老人の“前科”としての「ドキュメンタリー」時代である。七沢の見取り図では、田原のキャリアは、1「岩波映画」時代、2「東京12チャンネル」時代、3東京12ちゃん退社後のジャーナリスト時代、そして、4「フリーになってからのレギュラー番組」時代(『朝生』、『サンプロ』から現在まで)、と区別されそうである。このうち3と4は、一部重なっている。
 このうち、常識的には、4が〈田原の現在〉に対応するだろうから、4を説明するために、2の〈前歴〉の調査と分析が行われた、というのが今回の七沢調査ということになる。

 それを説明するために、七沢は「異彩」の検討に戻る。田原ドキュメンタリーの「異彩」性は、丹羽による田原ドキュメンタリーの先行研究(「介入型」、「挑発型」の時代性)、田原DVDプロデューサー五箇による証言、今野勉による証言、により、おおよその目処をつけられる。
 さらに、〈出自調査〉もされていて、佐幕派の滋賀彦根出身、早稲田二文、岩波映画、「テレビ番外地」としての東京12チャンネルというように、ブルデュー社会学が行うような「ハビトゥス」の分析につながる基本的材料も提出している[5]「こうしたテレビ制作者としての非エリート意識(コンプレックス)こそが、『エリート局のエリート制作者には負けない。』という田原のバイタリティーの源となる、強いバネとなったと推察される。」p.10左段)。
 この第一パート「『異彩』の構造」は、要するに、〈田原〉をめぐる、1 テレビ界の〈ヘテロドクシー問題〉の提起、2 その出発点としてのドキュメンタリー番組の位置、 3「テレビ場」(ブルデュー)における田原の出発点、というように、〈テレビ怪人〉の〈生成と構造〉の問題系を導入したことになる。

III 田原ドキュメンタリーの「事件簿」
 本研究の主要部分を構成しているのは、第二パート以下の、ドキュメンタリー番組分析である。
 このうち、第二パート「『主観』の挑戦」が田原ドキュメンタリーの〈文法〉形成期
第三パート「『修羅場』の人間像を求めて」が、その文法を使っての〈行為論〉成立期、第四パート「『敗北』を抱きしめる」は、〈問題論〉化と〈危機〉の時期ということになる。
 ドキュメンタリー制作者でもある七沢の丹念な調べと分析が光る。

1) 岩波映画と東京12チャンネルを結ぶキャリア上の接続線が、『未知への挑戦』の「主観的な科学番組」であるとの指摘は面白い。NHKの同時代同一テーマのドキュメンタリー番組と比較して、ナレーションの「客観性」を規範とするジャンル規則からの逸脱から、「主観的介入」の技法の出発を割り出している。
 第二の対象番組、「『日本1967』「愛」」の考察になると、より複雑化する。見せ場の「クライマックスシーン」の設定、「疑似同時録音」によるライブ性の追求、「演出」の〈虚構性〉と〈真実性〉、〈プライバシー〉と〈真実性〉との関係など、多角的に論じられている。 
 二つの分析をつなげてみると、主観的介入、探求性、状況設定性、ライブ性、作為性、プライバシー性、というように、田原ドキュメンタリーにおける〈田原的真実〉の〈関数〉の〈布置〉が浮かび上がる。これが、田原TV的〈真理〉のマトリクス化(=〈文法〉化)である。

2) 第三パートの『ドキュメンタリー青春』の番組分析と考察は、言語科学やコミュニケーション科学の言う〈行為論(Pragmatics)〉に関わっている。番組がいかに社会行為となったか、対象に働きかけたか、どのような実効的関係を作ったか、に関わる研究である。克明な記述と分析がされているので内容については繰り返さないが、その前の時期の田原ドキュメンタリーの〈文法化〉を踏まえて、「対象との『かかわり』」を実践する、〈テレビの行為論的転回〉を跡付けている。
「新宿ラリパッパ」での「フーテンの味方」としてのリポーター、「バリケードの中のジャズ」のイベントの「仕掛け」、「カルメン・マキの体験学入門」、「宣言ポルノ女優」等と、田原ドキュメンタリーが「行為論」化し、そのコミュニケーションが〈パフォーマティヴ(行為遂行)〉化して、次第に、社会的現実を作り出すようになっていく進化を、七沢の研究はきれいに捉えている。これは、取材対象との「共犯関係」の成立であると同時に、テレビ放送のイベント化、リアリティーTV化へのベクトルを描き出していると理解できる。

3) 第四パートが七沢論文の最もポレミカルな部分である。七沢は制作者らしく推論している。「出発 〜 少年院を出たMの場合 」での、トラブルをめぐっての、実存的ともいえるレヴェルから、田原ドキュメンタリーがぶち合った限界(田原の「敗北」)を説明しているように読める(4−1「『かかわり』からの逃走」)。TVがドキュメンタリーを通して社会的現実に「介入」し、現実を生み出せば、その分、介入の対象となった社会からのリアクションを受け、その渦に巻き込まれる。制作者の生活も、テレビ局も、社会の力に巻き込まれる。そのような〈実存的巻き込まれ〉(状況へのコミットメント)が社会的に価値付与されていた時代がかつてあった。それが1960年代末だろう。「時代がそうだった」と説明されがちな現象だが、私見では、テレビと世界との関係は、さらに入り組んで複雑だったと思われる。
 1960年代以降のおよそスベテの世界および日本の出来事は、急速にテレビを通して〈経験〉さることになっていた。テレビが歴史を創り始めた時代だったのである。だからこそ、村木・萩元・今野の『お前はただの〈現在〉にすぎない』のような問いが出現した。
 TVをとおして社会の救済が起こり、その営みの挫折も起こる『出発』のような番組や、TVをとおして「恋愛」が起こり「有名人」が生まれ、それゆえ「別離」と「心の傷」が起こる『カルメン・マキ』のような番組が成立することを、社会が初めて経験していた「テレビの青春」(今野勉)時代だったのである。TVドキュメンタリーと社会との「かかわり」は、TVの力が社会の事実をパフォーマティヴに作り出すことが現実化したとき、社会との間に、抜き差しならぬアポリアを生み出すことになった。
 他方で、七沢は、田原における「土俵」づくりとTV的〈真理〉、とを、「虚と実」の関係、および「やらせ」問題から、考察している。そして、この問題を、今村昌平、今野勉、木村栄文らの同時代作品、あるいは、それ以後の世代のドキュメンタリー作品における「虚と実」の問題として、最終的には、「やらせ」問題の社会化へといたる事実連鎖のなかで捉えている。他方で、Reality ShowReality TVへ向かうテレビの「バラエティー化」のベクトルとの類似と相違を議論してもいる(cf. p.31 右段「1990年代以降のテレビ」の「『マジなドキュメンタリー番組』か『笑いや涙をもたらすドキュメンタリー風の番組』への二分化が進んでいった」との記述)。

IV 〈インタビュー〉の両義性:ジャーナリストとTVディレクターの間
 七沢刑事は、最終パート「おわりに」で、〈犯行現場〉に戻ってくる。そこは、この番組的論文が説話論的に起動された『朝生』の収録スタジオである。
 七沢刑事の〈推理〉が明かされる結論部だ。
 七沢の推論は弁証法的に進む。1) 1960年代末の「ディレクター」期は、他の龍村や萩元、村木らとともに、「テレビの青春」の時代だった。2) これらの〈異端者たち〉と同様に、田原も次第にエスタブリッシュされていった1970年代のTV界から排除されて、「ジャーナリズム」期を経験して、「ジャーナリストこそが田原の第一のアイデンティティーとなった」(p.33右段)。3) さらに冷戦が終結する1980年代末から『朝生』(1987〜)や『サンプロ』(1989~2010)が開始、「インタビュー」をめぐって、〈田原的なもの〉の総合が起こった、という弁証法による推論である。
 そして、そのインタビューを起点とした“強引”なアジェンダ・コントロール技術による〈討議アリーナ〉の設定(「土俵」づくり)、TVカメラの前でのリアルタイム(「生」放送)でのTV的真理の開示(「本音」の“自白”)という、田原的な〈政界リアリティー・ショー〉の誕生である。
 七沢刑事は、やや善良な見方をしているようにも見え、そのなかでも田原の〈ジャーナリズム擁護〉の役割を押さえている。

  しかし、どうだろうか。
 冷戦以後の田原的〈政界リアリティー・ショー〉にどのような評価を与えるべきなのか。〈テレビ史〉的評価と、〈政治史〉的、あるいはむしろ〈公共空間史〉的評価をどのように調整すべきか。
 そこで、問われるべきは、特殊的には田原的「本音」の構築性であり、一般的には、TV的〈真理〉のステータスと、その〈政治的妥当性〉だろう。〈真理〉のステータスをめぐって、〈メディア〉と〈政治〉との関係が問われることになる。
 
 この七沢刑事の捜査につづいて、TVと政治をめぐる、〈検察〉的〈国策捜査〉に乗り出せば、次に、何が言えるだろうか。
 冷戦の終結とともに登場した田原のTV的論争アリーナ(彼のいう「土俵」)は、55年体制の自民党の〈建前型利権配分政治〉を突き崩すとともに、左翼政党の〈教条主義的建前政治〉をも突き崩す効果をもった。それは、日本にも、〈テレ・ポリティクス〉の時代の幕開けをもたらし、小泉劇場の時代の「テレビ国家」とシンクロする結果を生んだ。最近の橋下政治にまでいたる、政治自体のリアリティー・ショー化をもたらした。
 「これらをどう評価するか?」が、TV怪人〈田原〉老人捜査の本丸になると、偏向した検事としての、レビューアーは思うのだが、そのためにも、〈刑事七沢潔〉の捜査は、まだ、これから、〈ケイゾク〉すると期待したい。

 


 


 
 






[1] このレビューアーが〈田原〉問題を追っているのは、かつて、〈小泉劇場政治〉をめぐって田原と論争になった経緯があり、当時、田原との座談で、彼の〈アジェンダ・コントロール能力〉を前に、完全に敗北した苦い経験があるからである。このレビューはしたがって、いつかリベンジを果たしたいと考えている、遺恨を持つ者によって執筆された、偏向調書なのである。Cf. 石田英敬「『テレビ国家』のクーデター」、『論座』、朝日新聞社、200511月号, pp. 87-92; 「テレビ人よ、政治家を裏切ろう」、田原総一朗、金平茂紀、石田英敬、『論座』(朝日新聞社)、20062月号、pp.148-163.
[2] 副題の「〜 死ぬまで生テレビ 〜」は、もちろん「朝まで生テレビ」から導き出されたことが明白だが、最近落ち目の団塊オジサン・サラリーマン向け週刊誌の見出しタイトル「死ぬまで○○○特集」と響き合っているようにも読めてしまうところも面白い。60年代テレビ研究を、「テレビの青春」(今野勉)論と呼ぶとしても、60年代メディアカルチャー研究は、同時に、「団塊の世代」文化論でもあって、そういう意味では、この連想も無償とは決して言えそうにない。
[3] ここでの七沢の論は、〈刑事もの〉でも、主人公の〈現役の刑事〉が、先輩であり、犯罪を犯しているらしい犯人の〈元刑事〉を追うという、よくあるサブタイプ・ジャンルだろう。余計なことだが、七沢自身、NHKの「塀の上を走って」いるようなところもあるようであり、この構成は痛快だ! せいぜい、塀から落ちないで走り続けろ!七沢潔。

[4] ウンベルト・エーコ「失われた透明性」、水島 久光/西 兼志『窓あるいは鏡 ネオTV的日常生活批判』慶應大学出版会 2008 所収

[5] ブルデュー社会学の〈ハビトゥス〉と〈場〉の概念については、ブルデューの『実戦感覚』や『ディスタンクシオン』のような諸著作以外に、拙著で恐縮だが、石田英敬「歴史性の理論としての文学史」、『文学』(岩波書店)、1994年冬号、pp.73-79 が、ブルデューの著作より、分かりやすいと、竹内洋氏が昔言っていた。