2014年3月7日金曜日

「世界が危惧する安倍政権:普遍的価値 見誤るな」『北海道新聞』コラム「各自核論」2014年03月7日(金曜日)朝刊9頁

 あなたの国は、いま大丈夫なのかと、外国の友人から心配顔で聞かれることが多くなった。中国と戦争をしたりするのか、韓国とはそんなに仲が悪いのか。今の政権はいったいどんな勢力なのか、など懸念する声は強い。
 アジアの同僚たちが参加する国際会議でも、政治や外交がこんな状態だからこそ、学術や文化の交流でお互いに頑張っていこう、私たちの友情は何も変わらないし、知性は愚かさに打ち克つはずだからと励まし合う。危機感はいや増してしているのである。
安倍自民党は昨年七月の参議院選挙に圧勝して両院のねじれを解消し政治的フリーハンドを手中にした。安倍政権が加速させたのは、日本版NSCを発足させ、特定秘密保護法を制定する安全保障体制の整備、さらに、集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更へという一連の動きである。これらの動きは、四月の消費税増税による景気の減速を見越して依然として高い内閣支持率を維持しているうちに、政治的に争点となるアジェンダをこなそうという意図が透けて見える。
 原子力政策の転換、国家主義的色彩の強い教育改革への流れ、十分な議論も行われないままに矢継ぎ早に推し進められている。
 クローズアップされてきたのは、安倍首相本人のイデオロギー的地金ともいうべき超国家主義的な傾向である。
もともとそれ自体が保守的な外交戦略である「価値観外交」を主張してきた安倍内閣だが、それでも前提されてきた価値とは、「普遍的な価値」と呼ばれるものであったはずだ。端的に、立憲主義、民主主義、基本的人権、平和と自由という基本的価値のことである。それは歴史的には、第二次世界大戦後の世界秩序を基本構図とするものである。
 安倍政権が不分明な態度をとりつづけている論争点はいずれもこの基本的な価値の軸に触れる可能性がある問題ばかりである。
 マクロに見れば、「従軍慰安婦」問題は人権問題、「靖国問題」は戦後処理の問題、「領土問題」もまた第二次大戦後の世界秩序の問題である。ミクロに見れば、それぞれについて議論の余地はあろうが、国際政治は何よりも大局であり、基本的な価値軸を見誤るべきでない。
 ところが、近代的な「立憲主義」を理解していないような憲法観を首相が表明したり、時の内閣判断で事実上の改憲を行いうるようなことを実行したり、靖国参のような第二次大戦後の世界秩序に挑戦するような行為に踏み切ったりすれば、世界から疑惑の眼差しを向けられること必定である。
 首相のいう「戦後レジームからの脱却」とは、どうやら、かなり特殊な価値観にもとづく極端な主張であって、まさしく「普遍的な価値」からの離脱ではないのか、それが国際社会が抱き始めている疑念である。
 この意味で、「靖国参拝」は決定的なエラーだったのであり、国際的危惧のレベルは一挙に上がった。
 他方、都知事選では極右の候補が六十万票を獲得し、書店に「嫌韓」や「反中」本のコーナーができ、外国人に対するヘイトスピーチが繰り返されたり、「アンネの日記」などの反ユダヤ事件まで起き、極右的オピニオンに対する若者たちの支持が多いと聞けば、政治の上からの右傾化と、社会の下からの右傾化が、呼応しているとも映る。いや映るどころでなく、じっさいにこの国はそこまで来てしまっているのではないかという不安が国内外で一気に拡がっている。
 首相が公共放送の経営陣に送り込んだ会長や経営委員が、放送についての無定見な発言をしたり、南京虐殺や極東裁判批判で極右候補を応援したり、天皇の神格性の主張、言論へのテロさえも容認するような発言をしていたとなると、この国の政治状況には、すでにオレンジに近い黄色の危険信号が灯っているのである。
 心配なのは、一般世論までがこの政治的な閉塞の袋小路に捉えられてしまいかねないことだ。じっさい、保守系紙は右傾化を煽るか、少なくとも及び腰、週刊誌 扇情的な嫌韓・反中を「売り」物にさえし始めた。メディアのなかに、進歩系日刊紙を狙い撃ちにするような見出しが並び、メディアには反知性主義の気分が蔓延してきている。
 政治は決して情動的気分ですませられる問題ではない。政治とは、もっとも根本的な部分で、「理性の営み」であるべきである。戦後政治を築いてきた基本的で普遍的な価値の継承のために、責任あるメディアはいまこそぶれることなく政治的価値判断の基軸を示すことを求められている。