2013年10月18日金曜日

「『安倍さん』という気分:言葉よりイメージ、消去される記憶、諦めが政権支える」、『朝日新聞』2013年10月18日金曜日 朝刊 17頁(高橋純子記者インタビュー)

安倍政権が発足して10カ月。いま日本社会は刹那(せつな)的な多幸感に包まれ、時代の大きな転機にあることを見過ごしてしまいそうだ。なぜこのような時代の気分が醸成され、そして日本という国がどこに向かおうとしているのか。政治が凪(な)いで見える今こそ考えたい。まずは「安倍人気」の底流について、メディア学者の石田英敬さんに聞いた。
 ――安倍政権は高い支持率を維持しています。
 「なんと言っても、最初に『アベノミクス』という仕掛けをつくったことが大きい。これは成功するか失敗するか誰にもわからない大きな実験です。実験することには賛成反対の立場の選択があり得ますが、開始されてしまったら否(いや)も応もない。失敗させるわけにはいかないから、経済界や経済紙といった経済アクターたちは成功に向けて動くしかありません。いまや一種の情報戦です。何につけても『アベノミクス効果』をうたい、称賛し、人々の景気回復への期待をどんどん膨らませればいい。それが実際に株価上昇という現実をつくり出し、さらなる期待を醸成する。この『期待の螺旋(らせん)』が安倍政権の『人気の資本』です」
 「この『期待の螺旋』の裏側は、『期待をしぼませるようなネガティブなことは言ってはいけない』という『沈黙の螺旋』で出来ています。『裸の王様』よろしく、『安倍さんは裸だ』と気づいたとしても誰も自分からは言い出せない。期待と沈黙で両側から支えられた政権が安定するのは当然です。当否や持続性への疑念を棚上げすれば、仕掛けは見事と言うよりほかありません」
 ――安倍晋三首相の言葉の力も、人気を支えているのではないでしょうか。首相の演説が五輪招致の決め手になったと称賛されています。
 「人々に響いているのは、首相の言葉ではなく、イメージでしょう。言葉を武器に人々の理性に訴え、説得を試みるのが本来の政治ですが、安倍首相が展開しているのは、理性ではなく人々の感性に働きかけ、良いイメージを持ってもらうことで政治を動かすことを狙った『イメージの政治』です。そこで必要とされるのは、しぐさや表情、レトリックといった、人に良いイメージを持ってもらうための『技術』です」
 「イメージの政治において、私たちは政治ショーを見ている観客と化します。安倍首相は五輪招致演説で、福島第一原発の汚染水漏れについて『アンダー・コントロール』と発言しましたね。これは書き言葉に落とすとつじつまが合いませんが、招致に利したし、いいパフォーマンスだったと多くの人が判断している。スポーツ観戦する人が『最高のパフォーマンスを見せてくれ』と言うでしょ。それと同じです」
 「消費増税の決定過程も、イメージの政治のセオリーにのっとり、うまく演出されていました。日本の首相でイメージの政治の扉を開いたのは小泉純一郎さんですが、それはあくまでも個人の才能によるものです。一方、安倍首相はおそらくプロが演出している。政治はどんどん技術を磨いています。良しあしはともかく、私たちはそういう世界を生きているということをもっと知る必要があります」
    ■     ■
 ――新聞やテレビも、そのイメージの政治に巻き込まれてしまうということですか。
 「そうです。イメージの政治に巻き込まれずに批判の足場を持てるのは、観客ではいられない人、例えば福島の漁民のように現場とつながっている当事者か、外から日本を見ている人です。イメージは国境を越えられませんから。越えるのは言葉です。麻生太郎副総理のナチス発言や橋下徹大阪市長の慰安婦発言に対しては、国内よりも海外の報道の方が厳しかった。政治家はこのズレをよくよく認識すべきです。このような『実績』が積み重なると、日本に対する信頼は確実に減殺されます」
 ――自省を込めて言えば、新聞やテレビの権力監視機能が弱っていることが、こういう政治状況を助長してしまっているのでしょうね。
 「その通りですが、政権に取り込まれているとか、弱腰だとか、従来型のマスコミ批判をしているだけでは実相はつかめません。大きいのは私たちのメモリーの問題です」
 「注意力と言った方がわかりやすいかもしれませんね。パソコンの一画面にディスプレーできる情報量が限られているように、人間の注意力も有限です。新聞が最大の情報源だった時代は、翌日の朝刊がくるまでは『現在』が固定されるので、注意力を傾け、思考を深めることができた。ところがテレビ、さらにはインターネット、SNSの時代になると『現在』が頻繁に更新されるため、注意力が分散されて深く思考できません。その上、新しい情報を入れるために、古い記憶はどんどん消去されていく。いまやメディアは、出来事を人々に認識させる伝達装置であると同時に、片っ端から忘れさせていく忘却装置となっているのです」
 「このような状況の中で、人気を得たい政治家は、より新奇なことを言って、常に話題の周辺にいるという戦略をとるようになる。橋下市長はその典型です。言葉は人気競争に勝つための道具に堕し、受け手の側もネタとして消費したらすぐに忘れるので、政治家の発言がコロコロ変わっても問題視されない。これが現代のポピュリズムのかたちです」
 ――情報技術の発達が、政治のありようを大きく変えてしまったと。
 「代議制民主主義を成り立たせてきた条件がどんどん摩滅しています。代議制民主主義には『遅れ』が不可欠です。代表を選ぶための時間、意思決定までの討議のプロセス、決定が実行され成果を出すまでの時間。その時間的な遅れが、私たちの政治的判断力を養うのです。しかし現代の情報社会はこうした遅れを許しません。政治家も選挙民もマスコミも情報の洪水の中で注意力が分散し、長い射程をもった政治的判断力を培うことも、大きな文脈に位置づけて物事を考えることもできなくなっている。いい悪いではなく、情報社会の端的な結果です」
    ■     ■
 ――だとすると、受け入れるしかないのでしょうか。
 「悔やまれるのは、政権交代の失敗です。民主党のマニフェストとは、忘却が進むこの社会において、時間的に持続する選挙民との約束であり、代議制民主主義を立て直すためのツールになり得たはずです。しかしその仕組みを、民主党は自ら台無しにしました」
 ――民主党の罪は深いですね。
 「ただ、情報社会の観点からは、別の問題も指摘できます。民主党政権の3年半について、私たちは『最低でも県外』『近いうちに解散』といった断片的な失態の記憶しか持っていません。ダメな首相が3人出てきて訳がわからないうちに自滅したねと。しかし本当はもっと深いところに失敗の原因があったのではないか。私たちは『政権交代とは何だったのか』という問いに対する明確な答えをいまだに持てていません。そう。私たちは忘れっぽく、大きな文脈の中で思考することができなくなっているからです。その結果『政治は変えられない/変わらない』という諦めにも似た感情だけが残り、それが現在の、人々の政治的判断のベースになっていると思います」
 「安倍政権はその諦念(ていねん)をうまく原資にして政治を動かしている。ほかに選択肢はありませんよ――。安倍政権が発しているメッセージはこれに尽きます。大型公共事業が復活し、原発は推進され、沖縄の空をオスプレイが飛ぶ。政権交代も3・11もまるでなかったかのようです」
 ――諦念がベースになれば、道はおのずと現実追随へと続きます。未来への希望や想像力を取り戻すことはできないのでしょうか。
 「政権交代、そして3・11をきちんと思い出すことから始めるしかないでしょう。精神的な病と同じで、記憶を取り戻し、自分の中にきちんと位置づけない限り、問題を克服して次に進むことはできません。私たちはどんな道を歩み、どこで間違ったのか。切れ切れになった情報を整理することで、現在の社会の構造や奥行きを理解できる。そのような認知マップを持って初めて、将来についての展望を描けるのです」
 (聞き手・高橋純子)
    *
 いしだひでたか 53年生まれ。東京大学教授。専門は記号学・メディア論。著書に「記号の知/メディアの知」「自分と未来のつくり方」など。

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この記事に関連して、日本記者クラブで「デジタル多メディア時­代のジャーナリズム」と題して記者会見を行いました。


2013年10月1日火曜日

[X 資料]東京大学「新図書館計画」 — 新しい知の拠点、アカデミック・コモンズとして -- 『大学マネジメント』2013.10

[X 資料]

東京大学「新図書館計画」

    新しい知の拠点、アカデミック・コモンズとして --

石田英敬(東京大学附属図書館副館長)


 世界の大学における大学図書館システムの役割は現在大きな転換期を迎えている。
 東京大学が加盟している「国際研究型大学連合(International Alliance of Research Universities; IARU)[1]では昨年度から「IARU図書館長会議」を毎年1回定例開催して、加盟十大学の図書館責任者の間で情報交換を密にし、共通テーマを掲げて戦略的目標を設定して交流・連携を強化する取り組みを開始している。
 世界の主要大学では大学図書館の新設、大規模な改修計画も目白押しで、上記IARU加盟校は、私たち東京大学附属図書館以外でも、北京大学が大学図書館を新設・全面改修中、オックスフォード大学のボードレイアン図書館群は、ニューボードレイアン図書館を「ウェストン図書館」として全面リニューアルを計画している。IARU加盟校以外でも、筆者が実地に訪れた大学だけでも、ソウル国立大学、ストックホルム大学、パリ・ソルボンヌ大学など世界各国の中心的な大学で、軒並み新図書館建設・大規模な改修計画が進行中である。世界的な大学競争のなかで各国は図書館システムを大学の知識基盤の中核に据える戦略を実行に移しつつあるのである。
 こうした世界的なコンペティッション状況のなかで、現在進行中の東京大学の「新図書館計画」もまた、大規模な建物の建設・改修、蔵書の収蔵能力の飛躍的な拡大のための計画にとどまらない。大学における〈知のロジスティクス〉を再定義し、世界最高水準の教育と研究を実現していくための、根幹的な知識基盤整備の事業として進められているのである。
 以下では、推進責任者として、このプロジェクトの概要を報告するとともに、世界競争時代を迎えた研究型大学における大学図書館の未来形について、ときには私見を交えることをいとわず述べてみることにしよう。

1.東京大学「新図書館計画」の概要

 まず、東京大学が実行に移しつつある「新図書館計画」[2]について説明する。
 スタジオジブリ制作の宮崎駿監督のアニメ最新作「風立ちぬ」をご覧になった方も多いだろう。関東大震災の場面から物語は始まるが、蔵書を救おうとする学生たちの懸命の奮闘も空しく焼失してしまうのが本郷の東京帝国大学図書館である。
 この図書館炎上と蔵書全滅をへて、アメリカの富豪ジョン・ロックフェラーJr.の寛大な援助をえて建造されたのが、現在の本郷キャンパス総合図書館である。のちに東大14代総長となる建築家の内田祥三の設計で、竣工は1928年。震災の教訓を生かし、鉄骨鉄筋コンクリート造りで頑強な構造を備え、地下一階、地上三階、中央部のみ五階、内側には7層の書庫が設けられている。当時の建築技術の粋を集めた歴史的価値の高い建物だが、第二次大戦中の金属供出や数度にわたる改装・改造で現況はつぎはぎやパイプ配管などが目立ち、冷暖房設備はエネルギー効率が悪く、全面的なリニューアルと歴史的価値の復元が求められていた。
 東大では、三キャンパスの拠点図書館と、現在32ある部局図書館・図書室とも収容能力は限界で、時代の新しいサービスに対応するためにも、大学の図書館システムの中核である総合図書館設備の刷新が求められていた。
 計画では、図書館前広場の地下に「新館」を建設する。地下2~4階には300万冊程度収蔵可能な自動化書庫を導入して文献・資料の安全な保存と有効な活用を図る。地下1階には研究・学習のための多様で新しい機能を備えた「ライブラリープラザ(仮称)」を設置する。これが第一期工事である。(20171月工事完了予定)
 また、第二期工事として、現在の総合図書館を外観を完全に保存したうえで、内部を全面改修して図書館機能を高度化。3階部分の閲覧室を拡充し、書架スペースを拡張、ブラウジング機能を高めて高度な学習図書館を実現。4階部分に世界のアジア研究の拠点となる「アジア研究図書館」を新設。1階2階は、資料の統合的なデジタルアーカイブ化や、国内外のさまざまなデジタル学術情報のハブ化の推進、新しい知識技術の活用やマルチメディア資料の活用を可能にするメディアラボ、ラーニングスタジオの設置等を計画している(2019年工事完了予定)。
 このようにして生まれ変わる本郷新図書館全体を、大学のもつ知を俯瞰し、高次の学習・教育研究活動を支援する21世紀の「アカデミック・コモンズ」と位置づけている。

2 「ハイブリッド図書館」

 この「新図書館計画」は五つの理念を掲げている。
 その第一が、電子情報と実物の本の間を自由に往き来する「ハイブリッド図書館」という理念である。
 電子ジャーナルの利用によって研究が進められ、電子書籍が浸透していく時代に、電子図書館と伝統的図書館とを融合させて、ヴァーチャルとリアルの双方を最大限に活用できる環境を構築しようという、ある意味では当然の考えである。
 とりわけ、「新館」地下に300万冊の自動化書庫を設置することによって、その部分の書籍・雑誌等資料がブラウジングできない状態に置かれることになるのだから、新しい図書館はヴァーチャルな空間においても、「知らない本」との出会いを可能にするのでなければならない。
 新図書館計画では、出版界や図書館界とも連携しつつ、大学発足以来のすべての教員の著作のデジタル化をめざす「知の森(デジタル・フォレスト)」プロジェクトが立ち上げられ、検索能力の向上やデータ組織の高度化、独自の検索エンジンやリコメンデーション・システムの研究開発、ヴァーチャル書架の試作、電子書籍の活用実験などが始まっている。
 教育情報と学術・図書情報とのリンクと往還もハイブリッド図書館の重要な機能である。シラバスから、書誌情報へ、書誌情報から大学の知識ネットワークや研究者情報へと、シームレスにつながっていくことが、大学における知の循環を可能にする。その知のネットワークのポータルとしての役割を図書館が果たすことになる。
 国際的にもリポジトリの拡充、オープンアクセスへの対応などのパブリッシング機能が、大学図書館ひいては大学自体の決定的に重要な評価軸になりつつあるから、電子図書館機能の充実は東大図書館システムの最大課題の柱なのである。
 

3 「アジア研究図書館」

 現在の大学の図書館システムには、その大学に息づいているあらゆる知の領域に対応した学術情報の収集・活用・保存・提示以外に、大学としての〈知の顔立ち〉を持つことが求められている。とりわけ、現在のように大学が世界的コンペティッションの時代を迎えているとき、大学図書館もまた世界的に相互に比べ合う関係に入ることになる。したがって、「東京大学の図書館の特徴とは」と問われたときに、その中心になる〈顔立ち〉が大学の図書館システムにはあってしかるべきであろう。
 研究型大学の図書館としての顔となるのが、4階部分に予定されている「アジア研究図書館」である。大学には、多様な学問分野を横断してアジアに関連する研究をおこなう研究者は多数おり、「ASNET(日本・アジアに関する研究教育ネットワーク機構)」という横断組織を結成して活動している。大学内に保存されてきた貴重蔵書やコレクション、蓄積されてきた第一級のアジア研究学術資料も多数である。それらの蓄積を結集し、各国の研究者が集う世界最高水準のアジア研究環境を生み出すことがめざされている。
 

4 国際化時代の教育への対応

 現在の総合図書館前広場の地下に建造される「新館」の地下1階には、学生たちの学習や自主的な研究活動をサポートする学びの広場として仮に「ライブラリープラザ」と名づけた能動的学習のためのフロアが予定されている。
 約1300平方メートル、収容能力200名程度の、いわゆるラーニングコモンズである。東京大学の本郷にはこれまで大学院情報学環の福武ホールに先駆的な前例があるが、すべての学生に対して開くラーニングコモンズはこれが初めてである。
 能動的学習が高等教育のテーマとなり、東京大学もまた体験型教育プログラムの充実やサマープログラムの実施、学部後期や大学院を通した高度教養教育の拡充、留学生の受け入れの拡大、学事暦の変更にともなう多様な学びの実現等に力を入れようとしている。そのような総合的な教育改革の取り組みのなかで、「ライブラリープラザ」は能動的学習のための中心的設備としての役割を期待されている。
 世界の大学に広まりつつあるラーニングコモンズだが、「ライブラリープラザ」は東大としての独自の特徴を出そうとプロアプランを進めている。
 現在の総合図書館である「本館」への入り口として、〈大学の知へのポータル〉として性格づけられる。様々な学部の学生が集い、相互に学び合い、知を立案する場所であると同時に、TAやチューター、ライブラリアンが、パーソナライズされた対応を基本に、知の世界へ導き入れる役割を果たすことになる。
 また、先述のようなハイブリッド図書館環境を活用して、ヴァーチャル書架やITを駆使した特集コーナー「ブック・フォレスト」を設置して、本や学術情報の世界へガイドする環境を用意する。
 いままで大学になかった図書館空間が出現すると同時に、ライブラリアン、TAやチューターの院生、教員という多様な人びとが共に働く、新しい図書館の場所が実現することになる。これは、これまで図書館職員のみが働いてきた図書館という職場に大きな変化をもたらすことになるだろう。

5 社会に開かれた大学図書館

 この「新図書館計画」は東京大学だけのためではなく、広く社会的なロールプレイをも志向している。
 東京大学の本郷キャンパスは、一般的には、安田講堂にしても赤門にしても、本郷通りからの眺めをもって表象されがちである。
 しかし、不忍池サイドに注目するならば、不忍池の周りには、東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館といった日本を代表する文化施設が林立し、池をはさんで東京藝術大学まで徒歩30分の距離にある。江戸絵画にみられるように不忍池の景観自体、歴史的価値が極めて高い。
 この様なロケーションと歴史的に蓄積された文化的価値を活用して、東京大学新図書館は、この本郷・上野地区をむすんだMLAMuseum Library Archive)連携の学術極となることをめざしている。
 例えば、上記の文化施設と連携して、人材育成のプログラムを組織したり、日本の芸術・学術文化に関するサマープログラムを組織したりすることが考えられる。MLA連携というように、アーカイブを相互接続したり、協働でシンポジウムや展示を企画したりすることもできる。
 また、現在の総合図書館の建築上および歴史文化的な価値を復元することで、新たな文化を創出しうると考えている。現総合図書館の一階入り口左にある洋雑誌閲覧室は、もとは「貴賓室」とも呼ばれ徳川慶喜筆の「南葵文庫」扁額が掲げられシャンデリアで照明された豪華な部屋である。第二次大戦末期には有名な「東大七教授終戦工作」の相談が行われたといわれている歴史的な場所である。戦後のずさんな改装により、かつての輝きを失っていたこの旧貴賓室を記憶の場所として復活させる。講演会や若手研究者を顕彰する授賞式などを行ったり、賛助会員のセミナーや読書クラブを開催したり、社会の人びととの出会いを可能にする場所に生まれ変わらせるのである。
 これからの大学図書館は、そこに行けばいろいろな知と人との出会いが待ち受けている、いろいろなアイデアや人とのつながりが見つけられる、心躍る場所となるべきである。これもハーバード大学など外国の大学ではすでに定着している大学図書館の役割である。

 6 出版文化の公共的基盤としての大学図書館

 数分以内にOPAC検索から蔵書を取り出すことができる300万冊収蔵可能な自動化書庫を本郷キャンパスの地下につくることにどれほどの価値があるのか。今回の図書館計画の立案中に議論が集中したテーマの一つである。
 書籍のデジタル化が進み、学術情報一般が総じて電子化へと向かっていくなかで、首都圏においてフィジカルな書籍をこれほどの規模で蓄えている巨大図書館は、国立国会図書館と東大新図書館ということになるだろう。
 そのことの意義は計り知れない。学術の基本は、「反証可能性」である。例えば、EPUBPDFの現状を考えれば、フィジカルな書籍を学術的基盤とすることの有効性は、にわかに消え去るとは思われない。学問に従事する者は、典拠や引用の正確さ、オリジナルの文献との照合、確認が、知の厳密さの根拠である。ところが、例えば、キンドルのリフロー機能によってテクストが流動化し、そこから「引用」を行えば、どのテクストのどの版を典拠にしたかという基準そのものが揺らぐことになる。度量衡に「メートル原器」が必要であるがごとく、本にも「原本」が必要であるという、学術の「厳密性」の根本は、今後も永らくの間不変であり続ける。したがって、すぐに原本を取り出して照合することができる、フィジカルな本の存在は、学問の存続にとって死活的な重要事項なのである。
 他方では、出版文化、とくに学術出版文化の危機がある。
 現下のメディア状況にあって、大学図書館の蔵書を構成する学術出版界は、書籍のデジタル化に関しても不利な戦いを強いられている。また、恒常的な経営難から、独自で社内の充実した図書室機能を維持し続けうる出版社は極めて少ない。
 現在でも東京大学総合図書館の学外利用者のうちに出版編集者の占める割合は高い。
 それらの編集者こそ、本が生み出される最後の段階まで校正・校閲を重ね、レフェランスの厳密さ、引用の正確さを原本に当たって確認し、知識の正確さを保証している人びとである。
 そこで、300万冊の自動化書庫を備えた東大の新図書館を、学術出版に携わる編集者・出版人に今まで以上に活用してもらい出版文化の下支えとなることを、この新図書館計画の理念の一つの柱としている。上記のハイブリッド図書館の機能と合わせて、学術出版と大学図書館をこれまでよりも飛躍的に有機的に結びつけた出版文化におけるコラボレーションが可能になることをめざしている。
 大学図書館における電子書籍蔵書の拡大、大学図書館での電子書籍の貸し出しが、一般化していくことが見えてきた今日、大学図書館と学術出版の新しい関係を示していくことが求められているのである。

7.大学図書館の未来形をめざして

 さて、以上が東京大学で現在進行中の「新図書館計画」の概要である。
 私見では、今日改めて捉え返されるべきなのは、大学における〈知のロジスティクス〉という視点である。
 情報革命は、図書館を、そして大学自体を、リアルな空間の制約から「解放」することになった。リアルな図書館に行かなくても電子ジャーナルや電子書籍ブックのような情報の〈構造〉にアクセスすることは出来るし、リアルな本を手にとらなくても、テキストという情報の〈編集体〉を読むことはできる。図書館の書架の間を一冊の本を求めて歩かなくても画面で〈情報の通路〉を通り、目ざす一文を求めて頁をくらなくても一瞬でその〈情報列〉に辿り着くことが出来る。
 そこから浮かびあがってきたのは、しかし、知の回路や技術の配列の空間的設計の重要性、知識の供給経路の戦略性の追求である。大学という知識集団のヒトの流れと、研究や教育というアクティヴィティーの系列を、知識の補給路のどこで、どのように出会わせ、どのように新たな発見や学びの出来事を組織するのか。これが大学における〈知のロジスティクス(兵站学)〉の問題である。
 東大もその世界的典型例の一つである、19世紀発のフンボルト型大学において、大学図書館は知の物流の中核的拠点であった。大学自体が巨大な情報の流れの中におかれた21世紀の大学においては、その情報の巨大渦をデフォルトの前提条件として、大学自身が己の知の回路を設計しなおし知識基盤を築き直す必要がある。大学自身が自らの〈知のロジスティクス〉を立て直す時が来ているのである。
 この視点に立てば、もはや「大学図書館」は従来とは異なった顔立ちを持って現れることになるだろう。一方において、物理的な空間のなかで具体的な人びとがリアルな出来事と出会う場所であり、他方において、高速で巨大な知識の流れとヴァーチャルに結びついている。
 毎日、何千人もの知的作業が刻々とデータを更新して、知識を摂取し、知識を増殖させ、知識を送り出している、巨大な知の循環の場所として、大学図書館は定義されなおすことになるだろう。
 その場所を、まだ「図書館(本の場所)」と呼び続けるのかどうか。それは、もはや、大学構成員たちの思い入れと好みの問題であるだろう。だが、その場所が、今日の大学にとって知的生産の〈心臓部〉としての戦略性を高めつつあることを、もはや誰も否定することはできないのである。

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[2] 東京大学新図書館計画については、次を参照。

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