2012年12月14日金曜日

「負の政治の時代」、『北海道新聞』コラム「各自核論」2012年12月14日(金曜日)朝刊7頁

「負の政治」の時代


 「歴史は繰り返す、一度目は悲劇、二度目は茶番として」と喝破したのはマルクスだが、総選挙投票日を目前に、N回目の茶番の繰り返しを苦々しく眺めて嘆息しているのは、私だけだろうか。
 じっさい、この世紀に入って、私たちは、余りにも多くの繰り返しに立ち会ってきた。小泉劇場政治の熱狂と幻滅、政権交代の昂揚と失墜、安倍・福田・麻生・鳩山・管・野田とめまぐるしく繰り返される首相交代劇、タレント知事や最近のおびただしい新党結成、そのたびに繰り返される世論調査で繰り返される「期待できる」「期待できない」といういつも同じ問いかけ、ジェットコースターのように弧を描き続ける支持・不支持のグラフ曲線・・・。選挙の度にスウィングしつづける無党派層、離合集散を繰り返し、選挙ごとに党派を乗り換える議員のチルドレン(=幼児)化現象、空転する国会・・・。誰が見ても、これでは、誰もがうんざりした気持ちになってしまうことは当たり前といえる。
 このように短期的にめまぐるしく波動する政治の閉塞状況のもとにある原因はいったい何なのか?その基本構図をとらえようとすることからしか、政治をまともに思考することは始まりそうにない。
 これは私たちの国だけの問題ではない。世界は前世紀の終わりから「負の政治」の時代に突入している。大げさにいえば、どの国においても、政治は力を失っている。グローバル化は、一国単位での政治を事実上不可能にする。情報も経済もヒトも国境を越えて動くが、政治だけはまだそれぞれの国単位だ。
 国の政治は世界のグローバル化の動きに適応しようとするが、そのためには、いままでの権力の源泉を手放さなければならない。今世紀の初頭、福祉国家を解体したり、規制を撤廃したり、国内産業の保護を外したりと、新自由主義的な政策がいっせいに進められた。そのせいで、世界はむしろ貧困化し、他方で金融資本主義のゲームが繰り広げられリーマンショックのような恐慌を経験することになった。
 私たちの国は、残念ながら、このグローバル化する世界における当面の「ルーザー(敗者)」である。相変わらず一国主義的な公共事業による産業復興策を重ねた末に国の債務は膨れあがり、急激に老齢化する人口構成は世界的な競争に打ち克つことを困難にしている。新興国の浮上のなかで、外交的にも地位を低下させて、人びとの逼塞感はつのるばかりである。
 永らく私たちの国の政治は、「正(プラス)」の資源の分配者だった。しかし、いまや政治は分配すべき資源を失って、「負の分配」の身ぶりに転じてきた。
 じっさい、福祉国家の縮減にしても、公共セクターの解体や官僚たたきの現象にしても、すべては、政治による負の分配をめぐるアジェンダである。政治家たちの勇ましい発言やナショナリズムもまたこうした負の政治の一環であるだろう。
 しかし、「負の分配」の身ぶりだけで、政治はその役割を回復できない。人間社会にとって、もっと根本的な何か、もっとちがった世界のあり方への希求が、私たちの政治の拠り所であるべきだろう。しかし、オバマ政権の行方が示すように、オールタナティヴな世界像は残念ながらまだ説得的な方向を示し得ていない。
 であるとすれば、〈三・一一〉の、あの苦闘と苦悩の日々を思い起こそう。あのときに私たちの眼前に開かれていた、長い歴史の奥行きが突然その断面を露呈させたような光景をもういちど脳裏に描き直してみたらどうだろうか。そして、もう少し長い尺度で政治をとらえ返してみたらどうだろうか。
 マルクスの箴言のもとになった、英国の哲学者にして保守主義の父エドマンド・バークの言葉は、「歴史を学ばぬ者に歴史は繰り返す。」である。めまぐるしく繰り返す短期的な政治ゲームから抜け出す視座は、まずは歴史を、よく思い出すところから始まるのである。