2008年12月1日月曜日

「雄弁は復権するか」『世界と議会』、尾崎行雄記念財団、2008年12月号、pp.9-14

「雄弁」は復権するか


 私たちの国の政治の頽廃ぶりをみるにつけ、バラク・オバマの選出にいたる今回のアメリカ大統領選挙は、アメリカン・デモクラシーの再生を鮮やかに印した稀にみる歴史的な政治の変革の出来事だった。
 政治から、「演説」や「雄弁」の価値の後退が指摘されて久しい。とりわけ、わが国においては、政治の言葉、「演説」、「討論」を通した「言論」による「政治」が衰退しているとの感をぬぐえないのは私だけであろうか。
 このことには、政治とメディアとの関係が影響している。「政治の言葉」が、テレビに代表されるような「メディアの言葉」との関係で変化してきたからだ。

「言論の府」である「議会」が、「バイパス」されてしまうという現象を何度も目のあたりにしてきた。
 とくにコイズミ政治に代表されたようなテレビを中心とした、メディア政治の進行がいわれる今日の政治において「言論」の位置は非常に大きな変化を経験してきたといえる。
 メディア政治が喧伝されるようになって久しい。1990年代以降に展開されたメディア政治は、「執行権力」の「メディア化」を促進してきたといえる。「議論」の場が、「メディア」にバイパスされ、「議会」そのものが「議論」の場でなくなってしまう。
 「劇場型政治」や「ワンフレーズ・ポリティック」がいわれ、「政治の言葉」が、テレビ・コマーシャルのようなフレーズに切り詰められていくということを私たちは経験してきた。「美しい国」などというキャンペーンが行われていたのはついこの間のことだ。そして、その挙げ句の果てに、ケインズのいう「美人投票」の論理がまかりとおり、わが国では、政治そのものの「崩壊状態」にまで至っている。

ところが、である。
アメリカの大統領選挙をみると、メディア政治の大変化が起こっているのである。そして、アメリカ大統領選挙は、世界の「政治とメディア」との関係を決めていく「壮大な民主主義の実験」という役割を果たしてきた。それを考えるならば、これからの世界の「政治とメディア」との関係を考えるうえで、オバマ選挙とは何であったのかを、分析し、総括しておくことは、重要である。

アメリカ大統領選挙とメディア政治

 アメリカ大統領選挙は、いつも壮大な「民主主義の実験場」である。とくにメディアと政治の関係に関しては、そうである。テレビが政治キャンペーンの主たる舞台となったのは、周知のように1960年のケネディとニクソンによるテレビ討論以来である。ラジオで討論を聞いていた聴衆はニクソンに説得力があると思った。しかし、テレビで中継を視聴していた人びとはケネディに分があると感じた。爾来、テレビが人びとの生活を覆うにつけ、政治的説得の戦略は、つねにテレビを主たる出口として立案され、それに合わせて、選挙戦略が決定されるように進化してきたのである。
 大統領選挙が「実験場」であるというのは、資金においても、テクノロジーにおいても、競争のルールにおいても、およそあらゆる制約を取り払った、全面的な競争が繰り広げられることを意味している。じっさい、今回の選挙戦をつうじて、オバマ陣営は、草の根の献金によって、数百億ドルといわれる献金を集めて、その潤沢な資金をもとに、公的選挙資金を断って、壮大なメディア選挙を展開した。まさに資本主義の国の選挙である。しかし、さらに注目すべきなのは、あらゆるメディア・テクノロジーの使用が可能である点である。資金が続く限りテレビ・コマーシャルを打つことができる。そして、ネガティヴ・キャンペーンも許されている。政治コミュニケーションや政治マーケティングのテクノロジーが駆使されて、選挙戦が戦われる壮大な実験場なのである。
 4年ごとにおこなわれるこの壮大なメディア政治の実験のもたらす効果はアメリカにむろんとどまらない。そこから様々なメディア政治のノウハウが引き出され、それ以後の世界の政治におけるメディア戦略のあり方を決定していくことになる。近い過去の例では、ブレアのメディア政治は、クリントンの大統領選挙から学んだことによるという事実がよく知られている。

「サウンドブラストの時代へようこそ」

 現在進行中のアメリカ大統領選挙だが、今回の選挙はYouTube選挙であるといわれている。
 インターネット市場における新しいジャーナリズム・ベンチャーとして注目されている政治専門オンライン紙The PoliticoPolitico.com は、本年3月26日アメリカ大統領候補指名選挙キャンペーンについて「サウンドブラストの時代へようこそ」へという記事を掲載した(”Welcome to the age of the sound blast by M. Sifry & A. Rasiej, The Politico, March 26, 2008:
http://www.politico.com/news/stories/0308/9222.html)。このThe Politicoとは、ワシントン・ポスト紙の有力編集者をヘッドに、2008年の大統領選挙に照準して一年半前に立ち上げられた、活字とテレビとインターネットが完全に連動した新しいジャーナリズムの試みである。
 よく知られているように、1960年のケネディー・ニクソンのテレビ討論が「テレビ政治」の始まりである。大統領候補の討論をラジオで討論を聞いていた人はニクソンに分があると思ったが、テレビを見ていた人はケネディに説得された。政治的説得のプラットフォームとしてラジオからテレビへの移行を記す歴史的出来事である。The Politicoの記事は、2008年のバラク・オバマとヒラリー・クリントンの指名争いは、「インターネットがテレビの支配を終焉させた瞬間として歴史に残るものとなるだろう」と述べている。
 「ケネディ・ニクソン討論」」以後、テレビ政治の時代がやってきた。しかも、テレビは、次第に「インフォテインメント化」(日本でいえば「バラエティー化」)を起こし、政治は、短いワンフレーズによって注意を引き政治的効果をあげる「サウンドバイト」全盛の時代を迎える。
 1968年の大統領選では、ニュースショーでの候補者のサウンドバイトの平均時間は43秒だったが、1972年には25秒にまで減少。1988年には9.8秒、1996年には8.2秒にまで落ち込んだ。
 記事はいう。バラク・オバマはこうしたテレビ政治の前提を過去のものとしつつある。
 オバマは長い演説を行い、その動画をYouTubeにあげ、拡げるように支持者たちに呼びかける。
 オバマのビデオのYouTube上での視聴回数は3300万回、「ちょっと見」はこの動画投稿サイトではカウントされないので、すべて全体を見た人たちの数字である。800以上のビデオクリップがあげられて、毎日さらに付け加えられていく。もっとも視聴数の多かった動画10本のそれぞれの平均視聴回数は110万回、平均的な長さは13,3分、最も人気のあるオバマの演説「A More Perfect Union(より完璧なアメリカ)」は尺が最も長く(37分)、延べ390万人が視聴した。
 対するヒラリー・クリントンの数字は、この新しいメディアに陣営が対応できていないことを示している。延べ1050万回の視聴。しかしその動画の平均的な尺はわずか2分。視聴回数トップ10の動画の長さはわずか30秒である。
 オバマの師とされるジェレマイア・ライト牧師の説教が、テレビ報道による「サウンドバイト」的なピックアップによって非難されたのに対して、オバマ陣営は、動画をYouTubeにアップして、その演説の「全体」を見て検証するように促すキャンペーンを展開、じっさい延べ60万人が十分間の説教全体を見たという数字が残っている。
 「サウンドバイト(「音のエサ撒き」の意:印象的でキャッチーな短いフレーズからなる抜粋、石田註)の時代はまだ死んでいないが、サウンドブラスト(「音の爆風」の意:ドキュメント、息の長い、奥行きのある説得、石田註)の時代にようこそ。天候は変わりつつあるのだ」、と記事は結んでいる。
 これこそ、私が語ってきた、ネット環境における「新しい公共空間」の成立可能性を示すエピソードである。情報テクノロジー環境に生み出されたアーカイヴによって、ひとびとが演説の全体を、視聴し、検証し、評価することができる。「批判・批評」の空間が生み出されるのである。
 このように確実に始まっている公共空間の三次元化、新しい政治ジャーナリズムの胎動、それが可能にする、政治の変化、を見ていると、私たちの国の政治においても、新しい可能性がないわけではない、ことが見えてくるのではないか。
「サウンドバイト」の時代には、ほぼ無きに等しいものへと退けられていた「議会」にしても、「サウンドブラスト」の時代が到来すれば、事態は少し変化する。人々は、ネット上で、議会での討論にコメントを加えたり、批判を加えたりして、それを「議論」することができるようになるだろう。視聴覚映像という「新しい言葉」による論争、批判と検証という、別の技術的基盤のうえに、新たな「討議空間」が立ち上がり、「演説」や「雄弁」の価値が再評価されるようになるかもしれないではないか。